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2006年06月30日

◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(四)

◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(四)


◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(四)

◆◇◆『出雲国風土記』におけるスサノヲ命、民間的色彩の濃い神

 『出雲国風土記』(天平五年・七三三年、監修者:出雲国造臣廣嶋、ほぼ完本の姿で残されている唯一の風土記)におけるスサノヲ命(須佐之男命・素盞鳴尊)は、「神須佐能袁命(かみすさのをのみこと)」「神須佐乃烏命(かみすさのをのみこと)」などと表記され、四箇所に登場する。

 『出雲国風土記』に登場するスサノヲ命は、すべて素朴で平和的な地方神として現れ、『記・紀』のスサノヲ命とは、まったく異なったイメージを与える。

 意宇郡安来郷(おうぐんやすきのさと)では、「壁(かき)を立て廻らし、『吾が御心安平(やす)けくなりぬ』」(国巡りをした話で、ここに来たとき、心が落ち着くと言ったので「安来」という地名が付いたとしている)と、大原郡佐世郷(させのさと)では、佐世の木の葉を挿頭(かざ)して踊ったとあり、大原郡御室山(みむろやま)では、御室を造って宿ったとあり、また飯石郡須佐郷(すさのさと)の条には、「神須佐能袁命(かみすさのをのみこと)の詔りたまひしく、この国は小さき国なれども、国処(くにどころ)なり。故(かれ)我が御名は木石に著けじ、と詔りたまひて、即(やが)て己命(おのがみこと)の御魂を鎮め置き給うひき。然して即(やが)て大須佐田・小須佐田を定め給ひき。故(かれ)須佐といふ。即ち正倉(みやけ)あり」とある。

 『出雲国風土記』にあるような出雲固有の伝承では、『記・紀』神話とは違い、スサノヲ命は、のどかで穏やかな情緒を持つ存在だ。

 出雲での平和な姿を、原初的で本来的内性(真の形相)とし、その神名は地名(出雲及び紀伊)の須佐から「須佐の地の男神」を意味するとする説がある。

 しかし、この飯石郡の山奥の僻地の神が、スサノヲ命の原像であるとすると、いったい何故に、『記・紀』神話の「高天原」説話のなかで、あれほどの巨大な神として扱われたかは不可解なことになる。

 その理由については、さまざまな説があるが、スサノヲ命と武神のイメージの強い御子神(都留支日子命、衝桙等乎与留比古命など)の性格が合わさったためとか、飯石郡須佐郷の須佐氏族(神須佐能袁命=かみすさのをのみことの祭祀家、この地には式内社の須佐神社が鎮座する)が出雲国造家(出雲で法王的存在)と、政治的に密接な地位にあったとされ、大和朝廷からも軽視できない存在とされたとか、スサノヲ命の崇拝が、飯石郡の山奥の僻地の神に止まらず、出雲国の内外に広く拡布され、民間に広く親しまれた神とされたためであるとか、いずれにしても、朝廷は『記・紀』編纂に際し、スサノヲ命の存在を素朴で平和的な地方神ではなく、巨大な神として大きく扱わざるを得なかったようなのだ。


スサノヲ(スサノオ)


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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 21:00│Comments(0)スサノヲ(スサノオ)の日本学
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