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2006年08月12日

◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十二)

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◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十二)

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、柳田國男と民俗学

 柳田國男は、若い頃(三十五歳頃)『遠野物語』など民間に伝わる説話を集め始める。その後、貴族院議長徳川家達と衝突して書記官長を辞めて(四十五歳頃)朝日新聞記者となり日本各地を旅行、また国際連盟統治委員としてヨーロッパを旅行する。次いで雑誌『民族』を創刊し(五十歳頃)新しい民俗学の確立に努める。

 やがて「民間伝承の会」を設立(六十歳頃)、全国各地から集積された民俗資料をもとにライフワークともいうべき主著を刊行する『先祖の話』は終戦の年、連日の空襲警報の下で書かれた。戦後(七十歳頃)日本の神、家はどうなるのかを憂えて「民俗学研究所」を設立、民間伝承の会を日本民俗学会に改称して会長となる。晩年(八十歳頃)、「民俗学研究所」を解散した。

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、柳田國男と経歴

 柳田國男(1875~1962):日本民俗学の創始者であり、近代日本の生んだ思想家。明治8年7月31日に兵庫県東郡田原村辻川に生まれる。父、松岡操は儒学者、長兄、鼎は医者、三兄、井上通泰は歌人、次弟、静雄は言語学者、末弟、映丘は日本画家として名をなしている。

 1887年に上京して森鴎外宅に出入りするようになり、文学活動に入り『文学界』に詩作を発表するようになった。東京帝国大学法学科大学卒業後、農商務省農政課に入り、農政官僚の道を進み、当時の農政学に関心を抱くようになる。

 1901年(明治34年)柳田家の養嗣子となり、その後法政局参事官に転出した。その間土曜会、竜土会、イプセン会などで文学活動を続け、田山花袋、蒲原有明、小山内薫、島崎藤村らと知り合う。

 1908年九州旅行で宮崎県椎葉村を訪れ、山民の実態にふれたのが契機となり『後狩詞記』をまとめた。さらに1910年に『遠野物語』と『石神問答』を刊行し、日本民俗学の基礎を築いた。

 その後、柳田の関心は郷土研究に置かれ、新渡戸稲造、小田内通敏、松本蒸治らと郷土会を組織し、1913年(大正2年)に雑誌『郷土研究』の刊行を開始した。1919年貴族院書記官長の要職を辞したのち、朝日新聞社客員となり、全国各地への旅行を続け、沖縄へも初めて訪れ、民俗学飛躍のきっかけをつかんでいる。

 1922年、国際連盟委任統治委員に任命され、ジュネーブに赴いた。帰国後、『朝日新聞』論説員として活躍する一方、『海南小記』『明治大正史世相篇』『都市と農村』などを刊行した。昭和十年代にかけて民俗学の理論化を行い、『民間伝承論』(1934)、『郷土生活の研究法』(1935)、『国史と民俗学』(1936)を相次いでまとめている。

 とくに民族資料の収集、分類の基準を説くとともに、民俗のなかの心意伝承を重要な領域に設定したことが大きな特色となっている。1933年(昭和8年)九月以来、民俗学研究の中心となった木曜会を組織した。木曜会は第二次世界大戦後の民俗学研究所の活動に引き継がれた。木曜会において、その後成長した日本民俗学者たちの数多くが柳田の教えを受けた。

 1935年に還暦を迎えた柳田を祝う目的で日本民俗学講習会が開催され、これを契機として、民間伝承の会が発足し、機関誌『民間伝承』が刊行され、全国各地の研究者を組織化する第一歩が始まっている。柳田は全国各地を旅行した際、現地で同じ関心を持つ同学の士と会い民俗学の普及に努める一方、木曜会のメンバーを中心として全国的な民俗調査を実施し、山村、海村、離島の報告書をまとめている。

 柳田は第二次大戦中から、しだいに日本人の基層信仰に焦点を定め、1945年7月に『先祖の話』を完成し、なお『新国学談』三部作に取り組んだ。そこには祭りや氏神、祖先崇拝、民間信仰を研究することによって、民俗学を経世済民の学として位置付けようとする気概が読み取れる。

 戦後、柳田は民俗学を学校教育に取り入れることを積極的にすすめた。そして1949年(昭和24年)に民間伝承の会は日本民俗学会と改称され、柳田は初代会長となった。戦後の柳田の思想の軌跡は、日本民族と稲作の伝来のルーツをつなげる『海上の道』であり、死の一年前にその構想が大著となって公刊されている。

 柳田の半生は、終始一貫、民俗学を通して日本人の人生観、世界観を探ることにあり、その業績は日本研究の根幹に関わるものとして高く評価されている。(日本大百科全書より)


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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 20:21│Comments(0)スサノヲ(スサノオ)の日本学
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